卵・乳・小麦を使わないお菓子作りを通して
お子さんの自己肯定感が上がり
食物アレルギーを夢を叶えるエネルギーに変える♡
東大阪市で
パティシエが教える♪
3大アレルゲンフリーのお菓子講座 主宰
*にちにっか*の
西川ゆりこ です。
当ブログをご覧いただきありがとうございます*
キッチンカーをすることを決意した私ですが
なぜこのような考えに至ったのか
今までの私の経緯をお話しています。
前回は母に「あんたとは行かない」と言われたから
自分に価値がないと思っていた時期について話ました。
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それでも、ありがたいことに
今の主人に出会え、見た目のコンプレックスから結婚なんてできないと思っていた私にとって、25歳で結婚できたということは奇跡に近いことでした(笑)
周りは4年生の大学を卒業して就職して、社会人なりたての友人もいる中で
まさか自分が結婚できるなんてと思っていました。
そして、両親との顔合わせが終わり
2010年10月10日に式場の予約もして、さぁ、これから結婚式の準備!
という時に、子どもを授かったんですね。
もちろん、結婚の約束も、両親の顔合わせも終わっていましたが
やはり本人たちも周りも大慌て(笑)
急いで入籍し、年明けの1月24日に結婚式の日程を変更し、結納をしたり、2か月半で結婚式の準備をしました(笑)
その時はまだ高島屋で仕事をしていて、つわりでしんどかったり大変だったけど、
ちょうど働いていたお店が高島屋から3月で撤退することも決まっていたのでそのタイミングで寿退社をし、専業主婦としての人生が始まりました。
妊娠途中、もしかしたら先天性の病気があるかもと先生から言われ羊水検査も視野に入れましたが、検査はせず
無事に7月に長女を出産しました。
結婚して、妊娠もして、子どもも無事に生まれて
子どもの時にパティシエを一緒に4年生の文集に書いていた夢の1つである
【お母さん】にもなれて、幸せではありました。
でも、ふと頭をよぎるのは
「主人は私と結婚して良かったのか?」
「子どもにとって、私が母親でよかったのか?」
「二人に申し訳ない…。」
という想いがずっとどこかにあり、
年子で第二子である長男を生んでからも、その考えが湧いて出てくることが度々ありました。
今思うと、産後うつとかだったのかもしれないですが
元々のネガティブさなどで、より助長されてしまっていたと思います。
主人曰く、2か月に1回、ネガティブ日があり
子どもが寝た後にただただ「私なんて、私なんて」と言って
過去の母とのことや、友達と喧嘩別れしたことを思い出して
「私なんて生きている価値のない人間だ!」
と泣いていたみたいです。
(私は半年に一回ぐらいだと思っていたら、訂正されましたw)
普通に考えると主人にとって迷惑な話ですよね(笑)
でも、主人は
「俺はゆりこの問題を解決してあげることはできないかもしれないけど、聞くことだけはできる。
俺は寝たら忘れるちゃうから、負担になってるとか氣にせんでいいから、話して楽になるなら全部言い。」
と、言ってくれてどれだけ救われたかわかりません。
とはいえ、
私が思い描いていた、結婚や子供が生まれての幸せな感情とかけ離れた感情しか出てこず
イライラして、お菓子もめっちゃ食べてどんどん太り
鏡で自分の姿を見てより落ち込む…。
そんな時期が末っ子が生まれて1年経ったぐらいまで
約8年間、続きました。
そんな時期にこちらでお話したお料理教室への参加を決断して
人生がどんどん変わっていったんです!
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ということで、次回からは話をこちらのお料理教室の話に戻してお話していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました♡