卵・乳・小麦を使わないお菓子作りを通して
お子さんの自己肯定感が上がり
食物アレルギーを夢を叶えるエネルギーに変える♡
東大阪市で
パティシエが教える♪
3大アレルゲンフリーのお菓子講座 主宰
*にちにっか*の
西川ゆりこ です。
当ブログをご覧いただきありがとうございます*
前回は夢であったパティシエを辞めてしまったことについて書きました
↓↓↓
親友二人のお陰で
新しい仕事先も見つかり
人生で初めての彼氏もでき(今の夫です)
少しずつ氣持ちも落ち着いていた時期。
その時期に私は母にあることを言われ
さらに
「私は母親にも断られるような価値のない人間で
そんな私から誘っても誰からも喜ばれない…」
と、
人と関わることが怖くなった時期があります。
母に何を言われたのか?というと
「あんたとは行かない」
この言葉でした。
その日は母の誕生日前後で
私は3姉妹の長女なんですが
真ん中の妹と母が2人で誕生日祝いのご飯に行ったことを知って
私もお給料も入ったし
母のお誕生日のお祝いに2人で晩御飯に行くことを提案しました。
その時に言われた言葉が
「あんたとは行かない」
でした。
私「なんで?妹とは行ったやん!」
母「だからやん。またお父さんが一人でご飯食べなあかんくなるからあんたとは行かない。」
そんなことを言われました。
「なんでお父さんが出てくるん?
私と行くのがそんなに嫌なの?!」
「なんでお母さんなのに私の気持ちわかってくれないの?!」
そんなことを思っていました。
でも、確かに真ん中の妹は昔から母の言うことをよく聞き
一番家の用事も手伝う良い子でした。
その反対に
私は家の用事も妹ほどそんなに手伝わないし
母の思った通りの進路も選ばず
母からしたら妹の方が育てやすくてかわいいと思うのは当然でした。
中学校の時も先生から
「お家の人と相談して高校選びなさい」
と言われて母に相談しようとしたら
「あんたはお母さんが行ってほしいところ行かんやろ?
自分で好きなところ選んで行ったらいいよ。」
と言われました。
「わかった。」
と返した私でしたし、
今思えば自分の好きな進路を選ばせてくれたことに感謝してますが
当時は、他の子と違い相談もさせてくれないんだと寂しさも感じたりしていたと思います。
でもやはりそれ以上に
「あんたとは行かない」
この言葉はその当時の私にとって
刃のように突き刺さり
【母にも断られるような価値のない人間】
というレッテルを自分自身に課してしまったんです。
そうなってくると
過去の人間関係も
「あの時友達と喧嘩して別れちゃったのも私が我慢できていいれば…」
「あの時私がもっとこうしていれば…」
そんな後悔と一緒に人と関わるのが怖くなってしまいました。
そうすると高島屋の仕事関係の人とも
ギクシャクしたりとうまくいかない。
当時、付き合っていた今の夫にも
「私となんて一緒にいても申し訳ないから
別れたかったら別れてください」
と言ったほどです。
まぁ、そんな私を見捨てず夫は結婚してくれたのですけど(照)
別の話になりますが
数年後にある占い師さんに
「あなたは強運の持ち主です。」
と言われたんですが
それから、私の一番のラッキーは夫と出会って結婚できたことだと思っています^^(笑)
話を戻しますが(笑)
母にそんなことを言われた中でも
夫と結婚できたことが私にとって
また自信を取り戻すステップになると思っていました。
もともと自分の見た目のコンプレックスから
学生時代は恋愛経験もなく
私はこのまま1人で生きていくんではないか?
なんて考えもありました。
そのためにもパティシエとして手に職をつけていたら
いつか自分のお店を持って一人でも生きていけるとさえ思っていました。
だから
予想外に夫と出会えたことで
25歳という若さで結婚できたことで新たに自信になり
そして
子どもを授かり母になることでまた自信をつけられるのではないか?
なんて
新婚当時の私は思っていました。
でも根本的な部分が変わっていないと
人はそうそう変われないのです。
次回に続く。