卵・乳・小麦を使わないお菓子作りを通して
お子さんの自己肯定感が上がり
食物アレルギーを夢を叶えるエネルギーに変える♡
東大阪市で
パティシエが教える♪
3大アレルゲンフリーのお菓子講座 主宰
*にちにっか*の
西川ゆりこ です。
当ブログをご覧いただきありがとうございます*
昨日は若い時に一番自信に満ち溢れていた時代についてお話しました。
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19歳でパティシエになり
夢を叶えた私は毎日、自宅から原付で15分ほどの八尾市のケーキ屋さんで働き始めました。
私が初めて働いたお店は
工場で作ったお土産用のお菓子を空港や駅に卸して60年以上の老舗が
新規事業として
生菓子を扱うケーキ屋を始めて4年目ぐらいの時でした。
祖母ぐらいの年齢の女社長で娘さんが副社長、
もう一人の娘さんも専務か何かで関わっている家族経営のお店でした。
兵庫で有名なケーキ屋さんに色々アドバイスをいただきながら
まだまだ動き出したばかりの生菓子のケーキ事業。
私は1年9か月働いたのですが
その間に2回店舗の改装工事などもし
色々挑戦している会社でした。
ただ、
年中無休(元日のみ休み)
週に1回の休み
朝は6時から22時,23時まで仕事
立ち仕事、力仕事がほとんど
改装工事でパティシエの働く厨房部分が狭くなったり
などなど
パティシエの仕事は思っていた以上に大変で
同期が辞め
後輩が辞め
先輩も辞め
精神的にも体力的にも限界がきて
2回原付で事故ったりもして
(不幸中の幸いで誰かを巻き込んで怪我をさせたりもなく単身の事故と
1回は車にぶつかりましたが、原付が廃車になっただけで私自身はほぼ無傷でした。)
私はクリスマスの日を最後に逃げるようにそのお店を辞めてしまいました。
あれだけ友達や家族に応援してもらってなった
夢であったパティシエを
わずか1年9か月で辞めてしまったことで
自分は中途半端な人間だ…
何の価値もなくなってしまった…と
自信も無くしていきました。
辞めてから数カ月はプー太郎(ニート?)で
何もしていませんでした。
でも
その時も親友二人が
「ずっと働いてたんやから、遊ぼう!」
と連れ出してくれて
そのお陰で後に旦那さんとなる人に出会えたり
新しい仕事場を見つけることができたので
本当に私はこの2人の親友には感謝しかありません。
そうして今度は高島屋の高級喫茶店で製菓担当として働けるようになり
始めはアルバイトだったのが
チーフに俺の仕事手伝ってと社員にもしてもらい
またパティシエとして新たな一歩を踏み出しました。
今の夫ですが、初めての彼氏もできて
また少し自信を取り戻すことができた時に
また新たな自己否定が生まれてしまいます。
それは
母との関係でした。
次回に続きます。